かんながらたまちはえませ

内在する天帝と繋がり共に真の光の道へ☆

2024年始まり変化連続の日々

 

共に真の光の道へ

 

あたたかくなり春らしさを楽しめるようになってきましたね。

先日は亀戸天神の敷地内にある若福という江戸懐石料理のお店で記念日を家族とお祝いしたのですが、梅まつり中で景色も風情があり良い時期に行けました。

 

1月に入ったとたんに色々な変化の流れが起き、計画や準備に忙しい日々を送っていました。具体的にすることも多くあるので、落ち着くのは数ヶ月後になりそうですが、変化はチャンス♪ 新たな扉が開くことにワクワクしています(*^^*)

 

毎年12月になると来年はどのような年にしようと改めて思い巡らせ、昨年も予定をたてたのですが、今年に入ったとたんにだいぶ先だったはずの計画が前倒しになったり、そうと決まると思いがけず巡り会えることがあったりと、神々様が連携されてお働きになって下さっていると実感することばかり続きます。

 

例えば「鷽鳥」(うそどり)さん、ご存知でしょうか。

私は最近まで知らなかったのですが、うそ替え神事といって、一年間の悪い事をウソとして、全てを吉に替えて下さるという。

そんなに都合の良い神事があるなんて素晴らしすぎ?ユーモアも最高!と驚いてしまいましたが(笑)

一度ならず二度三度も。というようなことが続き、向こうからやってきて下さって、さらに次々に登場して下さり、なんだかとても未知数で喜びが増える流れになっているのです。

本当にありがたいことです。

そしてそれは、自分の意識が全てを創られた「天帝」が中心にあるからこそ、神々様がそれぞれの御役目で正しく配置され動かれているということを思います。

 

2月4日は「立春」でした。

土の気が乱れる土用殺も明け、二十四節気の第一「正月節」

本格的に新しい年が始まりましたから、2024年の特徴というのも今後色濃く出て来るのだろうと思います。

 

昨年に今年は「2」の数霊言霊の意味合いが強い年になりそうだとお話しさせてもらいましたが、

『2024年2月4日に24節気はじまりの日』となると

改めて、なんだか凄いことだなぁと感じました。

 

kannagaratamachihaemase.hatenablog.com

立て分けるという意味合いが強い2の言霊。

心の在り方により、人生に祝福が多くなっている方も多いのではないでしょうか。

 

二十年来の友人もその一人です。

インド旅行に妹と一緒に行った時に出会ったインド在住の方なのですが、何もないところから起業して今では何百人も社員をかかえるアパレルの工場を経営しています。

いつでも前向きでシンプルイズザベストがモットー、太陽のような存在感があります。この前は、また工場を建て事業を拡大することになったとグランドほどある広さの敷地の中で仲間たちと撮った活気溢れる写真を送ってくれて、私もとても嬉しくなりました。

 

反対に、神様の御意思として厳しいようにも思えますが

「無礼者に用はない」という御言葉を感じていた頃、やっぱりかと思わされる興味深いことがありました。

 

なぜそこに行ったのかという詳細は省きますが、ある夢を見た当日に導かれて行った神社がありました。

夢を見るまで名前も知らなかったのですが、鷲宮神社といって、しかもその当日は節分祭で国指定重要無形民族文化財の神楽の奉納があるとのことでした。

直接、神楽を見た事がなかったので、時間を調べ今ならまだ間に合うと家から2時間かけて行き午前10時前くらいに到着しました。

節分祭は10時からでしたが、神楽は11時からということで人もまだほどんどいませんでした。

舞台の正面ではなく斜め横に閲覧席が並べてあって、なんだか少し不思議な配置だななんて思ったりしました。人もいないし一番前の列に座れたのでラッキーと、開始まで時間を過ごしていました。

 

どんどん人が増えてきて、撮る気満々の三脚を持った人も何人もいます。

そしていよいよ時間になり、周りの期待感や緊張感も高まって、舞台から神主さんのご挨拶。

その中にとても印象的なお話がありました。

「神楽というのは普通、お客さんに見せるための神楽です。ですが、ここの鷲宮神楽は日本で唯一、神様に奉納する神楽です。だから本殿と舞台が向かい合わせになっています。このような配置になっている神社は他にありません。」と。

それを聞いたとき、だからこの日に導いて頂いたのかということと、はじめに不思議に思った椅子の配置の意味もわかりました。

 

ですが一人、御神殿と舞台の間に堂々と立って、場にそぐわない質問を神主さんにしている人がいます。

その人がいるからこそ前段階での話の内容だったとも思えますが、動く気配もありません。。

特に誰かが注意する雰囲気も全くなく、神楽奉納が始まってしまいそうです。

始まってしまってはもう声もかけられないと思い、私はとっさにその人のそばに駆け寄って「すみませんが端に寄って頂けますか?」と小声でお伝えしました。

ですが返事は「は?なんで?」

「そこに立っていては皆さんも見えませんので、、」

ですが周りを気にする素振りも微塵もなく「そんなの関係ねぇ」と踏ん反り返っています。

数秒のやりとりでこれは無理だなと察して私は席に戻りました。

周りの方もやり取りが気になったようで「なんて?」と聞いてこられたので伝えると「ひどいわ〜」と残念そうな反応。

そして神楽がはじまってしまいました。

様子がこちらです。

 

どう見てもおかしい光景ですが、100人以上も人がいて他に誰も何も言わないというのもおかしいと思いました。

一幕は15分ほどで終わり、その人も去ったので、皆の良かったわぁという気持ちが伝わってきました。

少し休憩があり二幕がはじまる頃に、なんと同じ位置にまた戻ってきたのです。

周りの「どういう神経しているのかしら」「あの人に奉納しているんじゃなっていうのにねぇ」「神主さんが言ってくれればいいのに」という言葉が聞こえてきます。

 

二幕の演者の神主さんがゆっくりと出てきて、奉納中に舞台上から大きな声で「真ん中はやめてもらえますか?」と声が響きました。

それでも御本殿に尻を向けておかまいなしのその人は「なんで?」と動こうとしません。

神主さんはもっと強い口調で言い、「よけなさい」と持っていた扇子を思いっきり横に振っています。

周りからも「神様に失礼だろ!」という声も上がり、やっと端によけることとなりました。

 

70歳程に見えるその人は、なぜそれほどまでに頑固な状態になってしまったのかわかりませんが、はじめによけていれば舞台上から大声で注意され恥をかかずにすんだという気持ちになったのでしょうか、その後に私の方をじーっと見てきて、帰り際には目で挨拶してきました。

 

帰りながら、これはどういうことだったのだろうと振り返ったのですが、夢で当日に導かれたことを思うと、これらの出来事も含めて神様の舞台であったのかなと感じました。

生きていれば色々な人と出会います。お互いリスペクトし合い友好な関係が長年続く人もいれば、意識の波動があまりに違うために一時的な人もいます。

失礼や無礼な人と関わらなくなるのは、必然的でしょうがないことです。

 

例えば、神様のメッセージを自分に言われているようだと熱心に受け取られていると思ったら、気に入らない投稿があったようで、私に神刀が齎されたら会えると言ってきた人がいたり。

そもそもそのような言葉を言ってくる人に会うつもりがないのは伝えるまでもありませんが。

 

迷惑をかけても謝罪しなかったり、頑固で周りはおかまいなしだったりというのは、本人が認識していないからこそそのような行為をすることになってしまうようですが、礼を欠くというのは神様から用はないと言われる程のことなのだと思います。

日本人は和を重んじると言われますが、それは自然と礼という心が共にあるからで、これから霊性をリードする日本人ということであれば、無礼というのはその対極にあるということになるのではないでしょうか。

 

天帝を意識し自分を整え、快適な人間関係を選択していくことは、幸福な運命の創造でもありますね。

永続する幸せな選択を日々していきましょう☆

 

かんながらたまちはえませ

いやさかましませ

 

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