かんながらたまちはえませ

内在する天帝と繋がり共に真の光の道へ☆

26.責任の範囲を広げる

 
目を閉じ 自由に思考を遊ばせる時
そなたの思いは現実化しているのだ。
 
そなたの思考という映像は
神なる顕現の青写真となり
この現実に写し出されていくのである。
 
そなたの目から入れる映像にも気をつけなさい。
美しいと感じるものを見
心地良いの感じるものを脳に取り込みなさい。
 
目をふさぎたくなるという表現は真実を表している。
魂の穢れになるからだ。
魂は魂を汚したくはないのだ。
清浄でいたいのである。
 
それが神なる真の在り方であり
純粋性が神なる力となるからだ。
 
真実を追求する
神なる顕現の途上者たちは
声を張り上げ勇敢にも戦っているが
 
それはひとつの神なるドラマのシナリオの欠片だということを覚えておきなさい。
 
それは部分に過ぎない。
部分的な戦いだということを
覚えておく必要があるのだ。
 
彼らは または彼女らは
悪を攻撃し暴き出すことに費やすエネルギーを
全て自分に向け注いだらどうなるかということを
一度考えてみる必要がある。
 
それに気づくまでは
何かと戦い勝つことを目的とするだろう。
 
もしくは何かに立ち向かい変革することを
生きる情熱とすることだろう。
 
それは 内なる神への道のりの
ひとつの段階にすぎず
その激しさを超せば
彼らは穏やかになってゆくだろう。
 
何かや誰かを責めているうちは
真の神性さを己の中に見い出すことはないのだから。
 
己の神という意識に
真の意味で目覚めたなら
己の一瞬一瞬の心地よい在り方に集中する方が
遥かに力があることを知るはずである。
 
巷で起きている戦いは余興にすぎないことを覚えておきなさい。
 
改めて言うが
光と闇の戦いなど
上辺の出来事にすぎないのだ。
 
映画のようなものである。
 
真の私との歩みは
それとは比べものにならないほど素晴らしいことを
そなたはどのように表現するだろうか。
 
そなたの在り方をもって
証明するしかないのである。
 
在り方は永遠だ。
 
在るということは永遠の歩みにある。
 
それが映画と人生との違いであり
それが冒険や旅と
終わりのない道のりの違いなのである。
 
そなたの目にするものに
細心の注意をはらっていきなさい。
 
神であるそなたよ。
そなたが持つ責任という範囲を広げていきなさい。
 
それが自立を促すことであり
自在に人生をデザインし
想像を現実に変えていく力にも繋がっていくのだから。
 
自立した個人が
完全な國を樹立させるのである。
 
一人の個人ではなく
自立した一人一人という個人の集まりが
快適さを自然とつくり出してゆく。
それが理想の国である。
 
高度な知性 高度な神性さ
高みを目ざす個人が集い
より高度な快適さを実現していくのである。
なんと尊いことか。
 
より楽しい よりエキサイティングな現実が待っている。
 
個々の性質や個性を最大限に発揮させ
自然と調和することで創り出される世界は
どのようなものだろうか。
 
己が神になっていくこと程
楽しいことはなく喜びであるものはなく
魂が何度も挑戦して手に入れたい宝なのだ。
 
輪廻転生はその表れである。
 
神は神を顕現させることを
何度も挑戦しているのである。
 
そなたの愛しい選択に祝福を。
 
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