かんながらたまちはえませ

内在する天帝と繋がり共に真の光の道へ☆

23.奪う者と与える者

 
さぁ まずはこの星の考察からはじめよう。
 
奪われる者と奪う者は同一であり
与えられる者と与える者は同一である。
 
同じ枠の中に住まうから
奪い合い与え合いができるのだ。
 
奪われる者は相手に与えられているが
与えられている者もまた相手に与えているのである。
 
さぁ この違いは何だろうか。
同じ与えるという行為なのに
それが奪うことになるのか与えることになるのか
その違いは何だろうか。
 
なぜ奪われると感じる者があり
与えると感じる者があるのだろうか。
 
物質だけを見れば
同じ質量の移動が行われているだけにすぎないはずなのにだ。
 
この世界は奪うことで成り立っているだろうか。
それとも与えることで成り立っているだろうか。
 
人々はどのように感じているだろうか。
 
搾取されていると感じているだろうか。
国から搾取され 会社から搾取されていると感じているだろうか。
 
それとも国から与えられ 会社から与えられていると感じているだろうか。
 
それとも国に与え 会社に与えていると感じているだろうか。
 
それとも国から奪い 会社から奪っていると感じているだろうか。
 
この感じ方は 人々の幸福感に直結しており
国がどのように成っていくかにおいてとても大切なことだからだ。
 
そして この国は
そして 世界は
どのように成り立ってきたかを観察するという意味においてとても重要なことなのだ。
 
与えられれば人々はどのようになるだろうか。
奪われれば人々はどのようになるだろうか。
 
未熟な者は奪うのだ。
成熟した者は与えるのだ。
 
さぁ そなたはどちらに属しているだろうか。
 
心は 体は 魂は
どちらに属しているのだろうか。
 
人々の生命を奪い エネルギーを奪い 財産を奪い
あらゆる搾取を目論んできた者たちのヴェールが 今剥がされようとしている。
 
神の手により剥ぎ取られ
姿を暴かれようとしているのだ。
 
神の手というのは
民の手という意においてである。
 
私は何も彼らを悪だと思わないし 懲らしめようなどとも思わない。
 
神の化身となり
搾取され搾り取られてきた人々の手から
その謎解きがはじめられているのである。
 
未熟な王達の計画であり
未熟な神達の策略がだ。
 
 
 
さて ではなぜ奪うのはいけないのだろうか。
本当にいけないことなのだろうか。
 
それは毛嫌いされるに値するべきことなのだろうか。
 
それは 魂の保持に対する各々の警戒に繋がっているのだ。
 
魂の保持という肉体の保持 エネルギーの保持
いち個体としての保持に関わることだからだ。
 
質量が減れば自ずとエネルギーも減り
エネルギーが減れば質量も減るのは
この物質世界の理だ。
 
魂は体験するためにこの地上に降りてきた。
エネルギーを降下させ物質という塊に凝縮させ
己の個体を保持しているのである。
 
エネルギーが減ることは自ずと死に繋がり
この生という体験も終わるということを意味する。
 
魂は無駄にこの生という体験を
終わらせたくはないのだ。
 
生きて死んで生きて死んでを
容易く繰り返していると考えるのは間違いである。
 
魂はこの降下を待ち焦がれ待ち続けて
今のそなた方が誕生しているのである。
 
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